友人の脚本
友人の脚本を読んだ。
経験上、説得力のある、リアリズムのある脚本は自分の経験したことに基づく。
想像で世界は描けるのは天才だけだ。
天才でないのなら、恐らく友人はとても辛い経験をしてきたのだろう。
その経験に裏打ちされた脚本の読み応えのあること、そしてこれでも審査に通らない脚本の世界に恐ろしさを感じた。
僕はまだ無職だ。
友人に「脚本の学校に通わないか」と誘われている。
正直、興味はある。
このまま承認欲求を貪るように下らない動画を投稿しているより、余程有意義だろう。
だが、恐らく大成はしない。
人生の経験が薄すぎるからだ。
僕は愛を求めるばかりで与えることを知らず、全てを中途半端に諦めてきた落伍者だ。
勝利の前でいつも諦めるか、疲れ果て倒れる。
立ち上がって生きているが、それは生きる死人のようなもので、考える頭をもっていない。
漫然と生きている。
そんな者が誰かに感動を与え、人生に光をもたらすことが出来るのかと思うと、とてもそうは思えない。
僕は大学時代に、映画を作る部活に所属していた。
その際、脚本のようなものは、大学時代に書いたことがある。それも制作の途中で投げ出してしまった。
書き切ったが、満足のいくものではなく、あまりの無力さに恥ずかしさを覚えて完成した映画を見ることは一度もなかった。
スタッフやキャストの仲間に迷惑をかけたし、監督とはもう顔を合わすこともないだろう。
だが、だからこそ一度は、誰かに評価され、自分が満足するような脚本を書いてみたい。
1月31日、説明会がある。
僕は行くべきか行くべきではないか、迷っている。
母に誕生日プレゼントをあげた。
これは自分が満足するためだ。
他人の喜ぶ姿を自分の欲求と重ねてしまう在り方が、とても嫌いだ。